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六呂師村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
六呂師村(近世) 江戸期~明治17年の村名越前国大野郡のうち九頭竜川支流滝波川中流域の山間地に位置する天正2年平泉寺を滅亡させた一向一揆の一大勢力七山家の1つ天文8年の平泉寺賢聖院領目録(平泉寺文書/大野市史史料総括編)に「北六呂師村」,天正19年12月27日の六呂師・河合・中尾三か村稗割(斎藤甚右衛門文書/勝山市史資料篇)では「ろくろし村」と見える中尾組を構成していたはじめ福井藩領,寛永元年勝山藩領,正保元年幕府領福井藩預り地,貞享3年からは幕府領直轄地村高は,「正保郷帳」では田方64石余・畑方39石の計104石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」では同じく104石余明治3年本保県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属「足羽県地理誌」によれば,戸数25・人口131(男72・女59),馬7,田畑6町8反余,物産は生糸・煙草・繭・綛・桑明治9年白山神社が村社に列格同17年北六呂師村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」